動作学とは

動作学は歴史的にみると1900年代から、ソ連のベルンシュタインや東ドイツのマイネルやシュナーベルら多くの人々が学問として構築してきたという経緯があります。非常に多くの興味深い研究が行われていたのですが、歴史的な背景による様々な理由から、研究資料が紛失してしまったり破棄されてしまったことにより、これらの素晴らしい功績はなかなか日の目を浴びることがなかったのです。

ソ連では1940年代にニコライ・ベルンシュタインによって、人間の動作というものが非常に深く考察をされていました。ベルンシュタインは動作協応の基本的な問題は人間の動作におけるその膨大な自由度をいかに克服するかということであると指摘し、その動作の制御が感覚調整によるものであることを示唆しています。残念ながらこれらの内容が書籍として出版されたのは1990年代のことで、長い間日の目を見ることはありませんでした。

東ドイツでは国策としてスポーツ選手の育成が行われ、その中で様々なスポーツ運動学、トレーニング学、動作学が発展をしてきました。スポーツ運動が生物的、心理的、社会的な現象であるという捉え方は、現在の医療の新しい考え方の枠組みであるBioPsychoSocialアプローチ(生物・心理・社会的アプローチ)の先駆的存在とも言えるのです。


ここに挙げたものはほんの一部の例でしかなく、他にも数多くの科学者によって長年の間、世界中で様々な形で人間の動作というものが学問として研究考察されてきました。

動作学のより大きな可能性

動作がどのように制御されるのか?どのように学習されるのか?という疑問から始まり、なぜ人間は動くのか?人間、生命にとって動作、動くとはどういうことなのかという疑問へとより大きな視点で動作というものへの考察を深めていくと、人間の動作を理解するということの持つ非常に大きな可能性に驚かされます。人間が動きを作るということ、そして動きが人間を作るということ。そしてその循環の中にこそ生命が宿るのではないか?

乳幼児の発達の観察より、人間の基本動作は約80ぐらいあると言われています。これらの基本動作を人間はほぼ教えられることがなく、ほぼ全ての人がなんらかのレベルでこれらの基本動作を習得をしているのです。赤ちゃんは生まれ落ちたその時から、泣き、手足をバタつかせ、身をよじらせ、誰に教えられることもなく、寝返りをうち、ハイハイをして、立ち上がり、歩き出すのです。この様々な動きの中で変化する感覚入力、また動きの結果として変化する外部環境からの刺激によって、また新たな動作が構築され、それがまた新しい感覚入力を作り出すという絶え間無い循環の中で人間の発達は進んでいくのです。

マクロな視点から人体を考える上において、人体を一つのシステムをして理解をすることが大前提となります。そして、その一つのシステムの基本となる全体の動きを動作と呼ぶのです。人体は動くことにより環境と関わり、その関わりの中でまた動きを作り出すのです。

少し人体のことを深く考えると、動くということ動的であるということが生きている人間にとってどれほど当たり前で当然のことなのかすぐにわかります。寝ている時でも、人間は呼吸をし血液を循環させ、全てのシステムが動き続けているのです。細胞一つ一つがその動きを止めることは人間が生きている限りありえないのです。人間が生きるということは動的である、動くということと切り離すことができないのです。

様々な科学が発達し、ミクロな視点からの人間の身体の理解はついには遺伝子の解析まで完了し、我々は人体の設計図まで手にしているのです。しかしどれだけ細かく人間の身体の構造、生物の身体の構造を理解をしていても、人類は生命というものに対してはまだまだ驚くほど無知なのです。我々人類は生命がどこにどのようにどうやって宿るのか、まだまだ皆目見当がついていないのです。生命を理解するためにはミクロな視点ではなく、マクロな視点で生体を一つの動的なシステムとして考察する学問が必要なのです。

動作学の新しい定義

動作学の3つの柱

動作学には、動的平衡、知覚行為循環、そして適応という3つの大きな柱があります。知覚と行為の絶え間ない循環の中で動的な平衡状態を維持し続け、その中で環境に適応し進化していく。そのような人体の新しいマクロな視点からの理解が現在のミクロな視点からの医学、医療に加わることによって、医学と医療は新しい時代の扉を開くことになるのです。

このブログは、全ての人への愛と人類の限りなく明るい未来のために、医学と医療をより発展、進化させて次の世代へと繋げていくための提案です。

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