人体はとても複雑だということ

人間の脳は物事をパターン化して捉えることが非常に得意だと言われています。様々な事象に共通するパターンを見つけ出し、複雑なものを簡略化して理解をするということです。これは脳の基本的な機能原理である消費エネルギーをいかに節約するかという観点から考えると非常に理にかなっているのです。

脳は長い進化の過程で、いかに人体の機能を維持するために必要な消費エネルギーを節約するかということを非常に重要視してきているのです。使われていない筋肉はどんどんと弱くなり萎縮していきますし、刺激を受けない神経も徐々に退化していきます。ある一定期間その組織機能が使われなかったり刺激を受けないでいると、脳がその組織は生命維持にあまり必要がないと判断を下し、その組織に関連するエネルギーの消費を節約するのです。その結果として徐々に組織は弱体化し萎縮していくのです。

物事をパターン化して捉えるということも、できるだけ少ないエネルギー消費量で、できるだけ多くの情報を効率よく処理するために人類が進化の過程の中で作り上げてきたシステムなのです。

しかしこの物事をパターン化し、複雑な事象を簡略化して理解をするという脳の傾向が、時に人々が人体を理解するときに非常に重要な点を見落としてしまう大きな原因となってしまうことがあるのです。

原因と結果という考え方の落とし穴

我々は人体を非常に短絡的に原因と結果という一直線の思考パターンで捉えてしまうことが多いのはないでしょうか?

これは自動販売機に120円を入れてコーラがでてくるという事象からコーラはこの100円玉1枚と10円玉2枚でできてるんだと考えるのと同じことなのです。この自動販売機に120円を入れたらコーラが出てくるという事象の裏には、自動販売機を作る人、自動販売機のそれぞれの部品を作る人、その部品の素材を作る人、その素材を輸入する人、コーラの原材料を栽培する人、それを工場まで運ぶ人、コーラを製造する機械を作る人、コーラの製造会社のビルの清掃をする人・・・・・と、非常に多くの人々の星の数ほどの相互関係の結果として、自動販売機に120円を入れるとコーラが出てくるという事象は存在するのです。我々はこのことを無意識に理解をしているので、コーラが100円玉1枚と10円玉2枚でできていると考える人はいないのです。

ところが、ひとたびこの”自動販売機”が”人間の身体”に置き換わると、我々はいとも簡単にこの事象の中で現象として目にすることを、単純に原因と結果として結びつけてしまうのです。

「○○を食べたから痩せる」「○○したから/しなかったから病気になった」「○○したら○○が治る」人の身体はとてもとても複雑なものなのです。○○を食べても痩せることもあれば痩せないこともあります。〇〇してもしなくても病気になることはあります。〇〇をしたら〇〇が治る人もいれば治らない人もいるのです。

人体の中で起こる非常に複雑なシステムの相互作用の結果として、様々な身体現象や症状、疾病などが現れるのであり、決して一直線の原因と結果という形ではないのです。

複雑であるのは素晴らしいこと

痛みの研究の第一人者であるオーストラリアのロリマー・モーズリー教授は下記のように述べています。

“Simplicity is very important for learning but don’t forget the reality is wonderfully complex.”

我々の学びのため人体を理解するためには、物事をシンプルにパターン化して考えることはとても重要です。それによって我々は非常の多くの情報を整理して理解することが可能になり、その情報を日常の臨床現場で活用することができるのです。しかしそれはあくまでも学びのためであり、実際に人体で起こっていることは驚くほど複雑なのです。どれほど複雑かというと、我々人類が人体、生命というものをどれぐらい理解していてどれぐらい理解していないのかということさえもまだまだわからないほど複雑なのです。

命はどこにどのように宿るのか?心は?なぜ夢をみるのか?なぜあくびが出るのか?なぜ悲しいと涙が出るのか?なぜ?なぜ?なぜ?

そう、人体というものはただ単にVery Complex(とても複雑)なのではなく、Wonderfully Complex(素晴らしく複雑)なのです。その素晴らしく複雑な人体の驚くほど複雑な相互作用の中にこそ生命が宿っているのです。

このブログは、全ての人への愛と人類の限りなく明るい未来のために、医学と医療をより発展、進化させて次の世代へと繋げていくための提案です。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする