動的平衡:生命とは動的平衡にある流れである

生命の定義の中に動的平衡という概念は、青山学院大学の福岡伸一先生が最初に著書「動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか」の中で提唱されました。

生命が動的な平衡状態にあるということを最初に科学的に証明したのはユダヤ人の科学者ルドルフ・シェーンハイマーだと言われています。シェーンハイマーは窒素と化学的性質には全く変わりはないが、ほんのわずかだけ重い窒素の同位体である重窒素を用いることにより、その重窒素を目印にその行方を生物の体内で追跡できるというをことを思いつきました。タンパク質を構成するアミノ酸にはすべて窒素が含まれており、生物がひとたびそのアミノ酸を食べて消化してしまえば体内のタンパク質内にあるアミノ酸にまぎれてしまい、その行方を追跡することは不可能でした。しかし、重窒素を用いたアミノ酸を使用することによりそのわずかな重量の違いから食べて消化されたアミノ酸が体内のどこに運ばれて行くのかを追跡することができるのです。

シェーンハイマーは成熟した大人のネズミにこの重窒素で作られたアミノ酸を含む餌を3日間に渡って与えるという実験を行いました。成熟した大人のネズミなので成長をする必要はないので、餌はエネルギー源としてすべて使用され、尿または糞という排泄物として排出されるだろうという予測のもとにこの実験は行われたのですが、結果はその予測を大きく裏切るものだったのです。

尿および糞で排泄されたのは全体の3割弱でしかなく、半分以上の重窒素はネズミの身体を構成する様々な部位のタンパク質の中に取り込まれていたのです。また餌に用いられたロイシンというアミノ酸だけでなく、ネズミの体内のあらゆる種類のアミノ酸の中に重窒素が散らばっていることも同時に観察されたのです。そして最も重要で驚くべきことはこの実験の間でネズミの体重には一切の増減が見られたなかったということなのです。

これはどういうことかというと、体内に摂取されたアミノ酸は一度すべての原子がバラバラになるまで分解され、そこから再度様々なアミノ酸として合成され、そのアミノ酸が様々なタンパク質としてもう一度一から再合成されてるということなのです。そしてそのプロセスが行われている間に全くの体重の増減がないということは、それと同じだけの量のタンパク質が分解され体外に排出されているということなのです。外から見れば何の変化もなく同じような状態を維持しているように見えるにも関わらず、生命はその体内で絶え間なく自己の組織を破壊し再生するというプロセスを行っているのです。

そして、シェーンハイマーは水素の同位体を使うことによって、エネルギーの貯蔵物として考えられていた体脂肪でさえもこの絶え間ないプロセスの中にいることを証明したのです。

“(エネルギーが必要な場合)摂取された脂肪のほとんど全ては燃焼され、ごくわずかだけが体内に蓄えられる、と我々は予想した。ところが、非常に驚くべきことに、動物は体重が減少しているときでさえ、消化・吸収された脂肪の大部分を体内に蓄積したのである。” ルドルフ・シェーンハイマー

なぜこのような自己破壊と再生のプロセスを生命が行っているのかというのは、これこそがエントロピーの法則に抗う唯一の方法だからなのです。

エントロピーという言葉は乱雑さや無秩序さという意味合いで使われることが多く見受けられますが、元々の意味から考えると平均化という概念が最も適切にエントロピーの法則をあらわしているのではないでしょうか?例えば、部屋の隅に雑誌をまとめて整理しておいたとします。時間の経過とともにそのまとめておいた雑誌は徐々に徐々に部屋の中に散らかり始め、いずれは部屋の中のあらゆる場所に平均的に雑誌が存在するようになる、ということなのです。これを秩序立っていたものが無秩序に、整理されていたものが乱雑になるというように理解されているということなのです。

エントロピー増大の法則は生体を構成する成分にももちろん適応され、高分子は酸化し分断され、集合体は離散し徐々に平均化していくのです。その結果、タンパク質も体脂肪も損傷を受け変性していくのです。そこで生物はこのエントロピー増大のスピードを上回る早さで、自身の組織を破壊し再生することにより生体内にエントロピーが増えていくのを抑制しているのです。

身体のすべての構成要素がこのような形で自己破壊と再生を行っているとすると、物質としての身体というものは、ある時間が経てば全く別の構成要素によって作り出されているということになるのです。人体というものは物質的には常に変化をし続け、その変化をし続けていることこそが生命が宿るということなのです。生命とは絶え間無く続く動的な流れの中で平衡状態を維持し続けるということなのです。

静的な視点から動的な視点へ

絶え間無く変化をし続ける人間の身体の状況を理解するのにも動的な視点というものが非常に重要になります。例えば、血液検査をして甲状腺に関連する何らかの数値に異常が見つかったとします。ほとんどの場合この時点でお薬が処方されたりするのではなく、3ヶ月後に再検査をしましょうというようなことを告げられることが多いと思います。これは1回の血液検査の結果というのはあくまでもその一瞬の状態を切り取ったスナップショットに過ぎず、そこから何度か検査を重ねることで動的な状態を把握しようということなのです。

静的なある一瞬の状態を切り取ったスナップショットで、人間の身体の状態を理解するというのは非常に難しくなってきているのです。格子状の模様がついた壁の前に立って写真をとって、どちらの肩が上がっていますというのはあくまでもその一瞬を切り取った静的な視点での判断でしかないのです。そもそも人間の身体は解剖学的に左右非対称であるわけで、その左右非対称な身体を左右対称に動かすためのプログラムによって人間の身体は制御されているのです。これからはある一瞬を切り取った静的な状態の理解ではなく、動的にその人間の動き、動作の質をいかにして理解するのかということが非常に重要になってくるのです。

このブログは、全ての人への愛と人類の限りなく明るい未来のために、医学と医療をより発展、進化させて次の世代へと繋げていくための提案です。

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